Archives(2000.12.10〜12.14)


 最近ジェフサポになった人にこそ読んで欲しい。6年と少し前のあの日、ジェフで何があったか。
  当サイトが「SHADOW STRIKER!」と言う名前だった頃にレポートした、2000年12月10日の天皇杯・栃木SC戦後の「臨海立てこもり」、同じく12月14日に姉崎で行われた深夜まで及ぶフロントとサポーターの話し合い。今のサポコミのきっかけとなった出来事。

  オシム監督が着任してから、急激に強くなったとマスコミに誤った見方をされるけれども、変革の種はずっとその前から始まっていた。2000年の冬、3年に及ぶ毎年の残留戦線の果てに、サポーターとクラブフロントが本気でぶつかってクラブの事を語り合った日があった。祖母井チーム統括部長が、「ウバ害」と呼ばれていたあの頃のこと、臨海に立てこもったあの日を、姉崎で深夜まで議論を交わしたあの夜を知っているだろうか?

  選手の流出、降格の危機、さらにはチーム消滅の危機。
  チームの危機に、皆が必死だった。

  それからそれぞれが、それぞれの立場でこのクラブを良くしようと、必死に考えて今日まで戦ってきた。もう、あんな残留戦線の日々に戻りたいものか。これまで英々脈々と築き上げて来たものを、ここで崩してなるものか。当時の岡社長は、サポーターの猛烈な批判を、全て自分の言葉で受け止めてくれた。岡社長とて親会社からの出向ではあれども、後日「衝撃だった」と語り、変革へのターニングポイントになった。
  当時の事を思い起こすと、苦々しく思うスタッフの方も居る。勝手な事を言いまくったかもしれない。
  けれども、あの日あの時、本当にお互いが真剣にクラブの未来を話し合ったからこそ、ジェフは再生したのだと思う。
 
  いままた、ジェフが危機を迎えつつある。
  人と人の繋がりが軽んじられ、最も誇りにすべき「絆」がズタズタにされようとしている。
  あの日のように、腹の中にあるものを全部ぶちまけて淀川社長と話したい。このクラブをどうしたいのか、選手に愛され、人に愛され、地域に愛され、誇りと文化となるにはどうしたら良いのか。大事なものをとことん話しつくしたい。

  ここまで積み重ねるのに、どれだけかかったか。

  それを知って頂くために、当時の青臭いレポートを再掲載します。
  いま、どんな形でもいいから、クラブに、社長に意見し 、サポーター一人一人が動かなくては何も変わりません。

「俺達の市原」であるために。
〜ドキュメント 2000年12月10日(日)〜


※これから書く文章には多分に私情にまみれた部分があり、一方的なものとなる可能性が大です。お読みになられる皆さんには、ぜひ様々な情報ソースの中の一つとしてこの記事をお読みいただき、自らの判断で真実が何処にあるのかを冷静に判断して頂く事を切に願います。

 事の始まりは、12月8日(金)だった。友人から携帯電話の一報を受けた自分は、信じがたい思いでその話を聴いた。
 〜小倉 隆史、移籍リスト掲載へ〜
 それは、今年もまた我々の愛する選手がチームがズタズタにされようとしている事を告げていた。

 近年、JEFにいては城・秋葉・サンドロ・真中ら主力選手の多くを失った96年末をはじめ、OFFシーズンの度に選手の大量解雇と言う事態が続いていた。しかも、その対象となるのはファンの皆の期待を一身に受け、そして球団がその必要性を毎年のように訴えている(所詮はうわべだけだが)中堅からベテランばかりである。昨年残留に貢献した、武田・野々村が真っ先に切られたの事は記憶に新しいだろう。そうしたチームの核となる選手を切る事が如何に不利益か、チームが育てた財産を自ら捨て去るような行為に私は失望を禁じえない。
 若手に対する、非情な仕打ちもまた多い。今年の内田の解雇などは、その最たる例だ。パラグアイに1年近く留学させ、我々に期待を抱かせておきながらただの一試合も彼をTOPで使う事無く、いや練習試合ですらロクに起用しないままの戦力外通告。果たしてコレが正しい強化の、人として選手に対応するあるべき姿だろうか。これでは、市立船橋の布監督が市原に選手をやりたくないと言う意味も十分に理解出来るというものだ。
 しかも、彼らの中にはある共通点を見出す事が出来る。それは「個性が強く、自らを主張する事の出来る選手」であると言うことだ。このことが何を意味するか、賢明な読者には推察して頂きたい。

 市原のこうした惨状は、祖母井GMの就任以来拍車を増したと言い切る事が出来る。3年連続の残留争い、定まらぬ強化体制、前述の大量解雇。川本前強化部長や前田ユースコーチなど生え抜きの有能な人材の流失。そして、観客動員の低減。全ては負の連鎖となって市原に暗い闇を落としている。
 サポーターに愛され、期待される者が切られ、結果を出さぬ者がデカイ顔をして居座る。そんな到底許しがたい状況が、今市原では起こっている。
 問題は祖母井GMだけではない。そうした状況を許容している、現フロント陣も同罪である。通常の企業活動から考えれば、「選手=商品」である。にも関わらず、彼らは「お客が最も求めている商品は何か」をマーケティングリサーチもせずに、自分たちの独断で切っているのだ。果たして彼らには、市原と言うチームでどのように収益を上げていくのか、はっきりとしたビジネスモデルを持っているのか。彼らの行動からは、全くその意図が伝わらない。


 話を元に戻そう。
 「小倉移籍リストへ」の一報は、瞬く間にサポーターの間に拡がった。到底許しがたい状況に、我々は一致団結した。誰もが、誰を非難すべきか判っていた。今まで表立って口にはしなかったが、誰もが疑問に感じていたその人物を。その日の夜のうちには、JEF系の各Webサイト上で祖母井GMを糾弾するキャンペーンが張られ、小倉残留を要請する署名活動の大枠が決まった。

 この時点で我々に残された時間は僅かに2日。10日(日)、今年最後のホームゲーム:天皇杯三回戦・対栃木SC戦(市原臨海競技場)だけが、我々に残された最後にして最大のアピールの場であった。

 そして当日。私をはじめ、一部のサポーターは朝から小倉残留を求める署名活動に奔走し、また臨海競技場では祖母井GMを非難する横断幕の作成が同時進行で進められた。
 試合は予想以上の凡戦。今季を総括するにはあまりにも情けない試合ぶりに「誰がこんなチームに市原をしたんだ!」と、やり場の無い怒りが込み上げてくる。


 そして選手が退場し、喧騒が一段落したところで抗議活動は始まった。時間にして15時頃の事だ。
 要求はただ一つ「小倉を切ろうとしている、祖母井GMと岡社長と直接話がしたい」これだけである。
 「社長出せ!社長出せ!」「出て来い祖母井!」「オーグ!オーグ!オーグ!」幾つかコールがしばらく続いたが、反応は無い。運営会社の方が、帰るように説得に来たくらいだ。30分が経過しようとしていた。スタンドに険悪な雰囲気が漂う。「俺達と話をしようともしない」誠意ある対応を期待していた私にとって、この30分の沈黙は少なからず失望を感じた。
 しばらくして、ようやくチームスタッフが出てきた。「話は聴く。だから帰って欲しい、このスタジアムは借りているものだから施設に迷惑がかかる」と言う趣旨の事を言っていたと思う。だが、それはチームの都合だ。しかし「話を聴く」と言う言葉に促され、我々は大人しくチームの指示に従って一ヶ所に固まり、話を聞く体制を整えた。

 またしばらくして、女性スタッフに促され、三木常務と言う方が出てきた。「社長は居ない。」「私が話を聞く。」「君達の気持ちは分かる。」「施設の関係者に迷惑がかかるから場所を変えて欲しい。」との事だった。チームは、我々の要求に応えようとせず、ただひたすらに自らの都合を伝え続けた。スタンドから、怒号が飛び始めた。
 堂々巡りの対応がしばらく続き、チームは「この場所では、とにかく施設に迷惑がかかるから入り口で対応します。」と言いつづけた。さきほどの常務の言葉には感情の抑揚が無く、、まるで「めんどくさい事にまきこまれて俺は運が悪い。」と思っているかのようだった。社長に連絡をしてくれ、と言っても「連絡がつかない」の一点張りだ。
 彼の周りに立つ、より現場に近いスタッフの方々がフォローに回っていたが、正直・・・普段から彼ら現場の頑張りを知っているだけに、彼らに強く言う事など出来ない。むしろ、その彼らを盾にしているかのような常務の姿、そして姿を現そうともしない祖母井GM・岡社長に心底腹が立った。

 元々、私は岡社長に対して悪い印象は抱いていなかった。難しい経営のチームを支え、今年1月から移転した練習場や臨海に頻繁に足を運び、現実を知っている社長だと思っていた。だが、この期に及んで部下を見捨て、自分だけ逃げているような態度に、「こんなフロントに雇われた選手が可哀想だ」とまで思うようになった。


 膠着状態は続く。その後、チームの説得に応じたサポは、入り口の前でチームの事情説明を受けはじめた。俺も、チームに対してこれ以上迷惑をかけるのも申し訳無いと思い、「退く事もまた筋」としてチームの対応を見届ける為に入り口へと向かった。だがそこでの対応は、またも俺を失望させた。そこには常務が柵越しにサポ達と話していた。だが、驚いた事に、話し合いは拡声器すら使わず1mまで近づいた場所でも聞こえなかった。話をしている人以外を全く無視しているとしか言い様が無い。俺は「デカイ声で話せ!」と野次ったが、常務はボソボソと話し続け、その対応に失望した俺はスタンドへと戻った。

 入り口の話し合いでは、一応の決着を見たらしい。14日(木)の14時から再度話し合いをする、と。携帯にその一報が入ったのは、17時頃だったか。既に日は暮れ、暗く沈んだ臨海のスタンドで寒さに震えながらチームの言葉を待った。雨が降ってきた。それでも待った。
 またしばらくして、チーム関係者が来た。「14日の16時に決まったから、そこで話し合おう」と。
 ふざけるな!ここに居る人間は、みんなプータローってな訳じゃないんだぞ!木曜日に来られるなんてヒマなヤツが何人居るってるんだ!!
 外のサポが、その場のベストの対応として判断したのは分かる。だが、ココに居る俺達はどうなる!?逃げ切ろうッて言う魂胆が丸見えだった。チームのあまりに不誠実な対応に、さすがの俺もキレかけた。

 怒号にまみれた臨海で、一人某団体の某氏が皆の気持ちを代弁するように常務に語りかけた。時には激しく、時には切々と。如何に我々がJEF市原を愛しているか、こうなってしまった状況を、今変えたいんだと言う情熱。そして、愛したチームにこそ誠意ある態度を示して欲しいと言う想いを。

 −−−−−だが・・・常務は応えてはくれなかった。チームがこのような状況にも関わらず、社長を呼ぼうとすらせず、まるで自分の意志ではないと言うような、お役所的な対応に「もはや常務では話にならない」と言う思いは一層強くなった。
 某氏が一問一答方式で常務に詰め寄る。
 「我々は、試合終了後スグに社長に出てきて欲しいと言いましたよね?今日、社長はいらっしゃっていたんですか?」「社長は居ました。しかし、お帰りになられました。」
 「社長に連絡は取られましたか?」「連絡しましたが、帰宅されていないようで連絡が取れません。」
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・こんな対応がひたすらに続いた。答えが返る度に不信感が強くなった。なめられている。社会人として、上に立つ人間として余りに情けない対応に俺も「お前じゃ話にならん!」と野次を飛ばした。いや、飛ばさざるを得なかった。「俺達はいらないのかよ!」別の野次が妙に心に刺さった。
 考えても見て欲しい。プロスポーツチームと言うのは、他の業種とは違うんだ。そのチームに責任を持つと言う事は、我々の「夢」や「希望」を託しているんだ。いくら時間とお金をかけても、それを惜しいとは思わせないものを与えてくれるからなんだ。それを分かるんだよ!常務!!

 堂々巡りの応対に、やがて常務は耐え切れなくなったのかきびすを返して競技場内へ戻っていった。
 ポケットに手を突っ込みながら、結論を出さずに、なあなあにして帰って行く彼の後姿に、また怒号が飛んだ。

 時間は18時、いや19時だろうか・・・「あいつ、あのまま帰るぞ」誰のとも知れない声がした。説明が無いまま三木常務にこのまま帰られてたまるものか。残った100名強のサポは、ここでスタジアム入り口へと移動する。
 またしばらく時間が過ぎ、常務が姿を現す。某氏と、堂々巡りの会話が続く。
 「社長に連絡する」常務の言葉に、我々は待った。入り口の前の地面には、横断幕が敷かれた。

 また時間が過ぎた。もう時間は20時を回っていただろうか?
 ようやく出てきた常務の言葉は、およそ誠意とは程遠い・・・「14日の14時から話し合います」と繰り返すだけだった。それの何処が「社長のコメント」だぁ!?「だから、その時間じゃ来れないって言ってるだろ!」「お前は伝書鳩か!」「決済権あるんだろ!」怒号は頂点に達した。しかも・・・社長とは「連絡を取った」が「来て欲しいとサポーターが言っている」とは伝えていないと言う。なんなんだ、そりゃ!?俺にはサッパ、わからねぇよ!

 しかも、更に驚いた事に、常務はそれだけ話すと逃げるように競技場内へと入っていった。
 目の前で起こったチームを代表する者の配信行為に、ついに空気は割れた。某氏が、皆が、俺も常務の後を追おうとして揉み合いになった。誰もが必死だった。愛するチームを守ろうと。普段、世話になっているチームスタッフが警備員と一緒にそれを押しとどめた。「やめるんだ」「こんなことをしても・・・!」・・・と。
 某氏が吼えていた。「俺達の想いはどうなるんだ!!」と。
 揉み合いがしばらく続いた。とても長く感じた。気が付いたら、みんな泣いていた。団長も、他の皆も悔しくて、悲しくて泣いていた。心の底から何年も愛し続けてきたチームが、まさかここまで腐っていようとは・・・最後の最後に抱いていた希望のひとかけらを握りつぶされたような思いだった。

 重苦しい沈黙が続いた。21時を過ぎ、帰宅の足が無くなりはじめた人も居た。それでも離れられなかった。このまま、このままでは。時間切れで逃げ切らせる事など、到底許せるはずも無かった。


 やがて、チームスタッフ全員が出てきた。馴染みのあり過ぎる顔が並んでいるのが、何とも心苦しい。そして、この期に及んでコメントも出さず、逃げているだけの岡社長と祖母井GMには絶望的な怒りが湧き上がった。部下がこんな状況に置かれているのを知っておきながら、来れない理由を説明もせず、「何時になってもその場に行く。」と言う一言すら言えない、およそ上に立つ者の行動とは思えない対応に、「腐敗」の元凶を見た。

 そして、この日最後の話し合いが始まった。
 堂々巡りは変わらなかったが、それでも腹を割った話が出来て居たと思う。話し合いは、延々1時間以上にも及んだ。
 最終的な結論・・・それは、14日(木)21時から姉崎練習場人工芝コートにて、岡社長・祖母井GMを交え、再び話し合いを行う事。文章にて証明も頂いた。本当に、最初に社長が出て来てくれていたら、途中でしっかりした対応を受けていたらこんな事にはならなかっただろうに・・・。
 疲れきったサポ、チームスタッフの表情に、「なんで大好きなチームの事で、こんな気持ちにならなくてはならないのか。」・・・俺自身、疲れ果てていた。
 今日のこの出来事で、果たして何人がJEF市原を嫌いになるのだろうと思うと、気が重たくなった。
 
 事が終わった後、俺は何人かのチームスタッフと握手をし、肩まで抱いてもらったよ。すまない。本当にすまない。チームスタッフの皆さん・・・。でもさ、この日を本当の意味で市原が変わる出発点にしたいんだ。だから、許してくれとは言わない。俺達の声を聞いて欲しいんだ。本当に愛される、「俺達の市原」であって欲しいんだ、ただただそれだけなんだよ。
 
 舞台は出来上がった。12月14日(木)16時と21時、この日市原は変われるのか。いや、絶対に失敗は許されない。共に行こう「俺達の市原」を取り戻す為に。


あの夜を始まりとして。
8年目のフロント⇔サポーター討論会 2000年12月14日(木)


  12月10日(日)天皇杯3回戦に起こった、フロントとの直接対話を求めるサポーターの要求を受け実現した今回の討論会。16時からと、21時からの2回に分けて行われたが、やはり平日と言う事もあって、10日に最後まで残った面々も全てがこの日に集まる事が出来た訳ではなかった。私自身も、仕事を早めに切り上げ、普段は使わない特急電車を使って21時からの討論会に備えた。
 月明りに沈む姉崎に到着すると、オフィシャルショップの前で事前打ち合わせをするサポーター集団に合流した。そこにはハレルヤ・市原粋犬会の皆が居た。話を聞いていると、どうやら16時からの討論会が球団主導で進められ、質問内容をはぐらかされながら終わってしまったらしい事が見えて来た。そこで我々は、10日の事を踏まえて「まず何を質問すべきか」を事前に打ち合わせをし、「10日、何故社長が出て来なかったのか」この事をクリアにした後に、建設的な球団との話し合いをしようと言う事で一致した。
 

 しかし、ここでの拘りがこの日の失敗の一つとなってしまう。
 今回の討論会にあたって「失敗した」「反省せねばならない」と思える事が幾つかあった。その多くの原因は10日(日)の出来事を、引きずってしまったにあるのだが。

@10日、社長が出て来なかった事の追求に時間を割き過ぎた事・・・いきなり10日の事を水に流して話し始めるのは無理な話としても、1時間もこの話題をしたのは不味かった。ただし、後述する球団の中途半端な回答が無ければ、より早く次の議題に集中出来た事を補足しておく。
A感情的になり過ぎた事・・・正直、自分自身も含めて初めからけんか腰であった事は否定出来ない。その為、「話し合いの場を設ける」と言う10日の当初の目的を忘れ、球団側の対応の言葉尻ばかりを取って「口撃」する事になってしまった。
B討論会における態度・・・中には正装して出て来た方もいらっしゃったようだが、これも私自身を含めて果たして話を聞く態度であったかどうか。討論会の最中の姿勢や、携帯電話・私語など冷静に考えて見れば目に余る物があったと思う。

 他にも問題はあったのだろう。正直、視野が狭くなっていた。今後、私自身も謙虚な反省の下で話し合いに応じねばならないだろう。


 討論会は、定刻21時より姉崎練習場の球団関係者用駐車場にテント村を作って行われた。集まったサポーターは、約200名弱。JEF側からは、岡社長・アサクマ副社長・三木常務の3名が出席し、球団側から討論会に際して幾つかの注意事項が読み上げられる。
 ・・・話の流れとしては、10日の清算に22時まで1時間を費やし、23時までが一応の話し合い。23時に球団が討論会を打ち切ろうとして、口論、延長。24時45分一時休憩。25時半に閉会・・・と言ったところ。ビデオのように、その時々の模様を書き連ねて行ってもいいのだが・・・今回は質問と回答の要点をまとめて冷静に判断して行きたい。

質     問 回     答 疑 問 ・ 感 想
10日、何故社長は来なかったんですか?
また、戻っていたら危害が加えられたと思われましたか?
(岡社長)私の58年間の経験に基づいて判断した。現場は三木常務に任せ、日を改めてこういった話し合いの場を持つべきだと考えた。
危害が加えられるとは思わなかった。
10日当日、コメントくらいは出せなかったのか?
何故、カメラの持ち込みは禁止なのですか?
(この日、カメラ・ビデオカメラ・録音機材の持ち込みは禁止された)
(岡社長)「話し合い」の場と言う事で、その場を壊したくないから。カメラがあっては集中出来ないと思った。 では、何故録音機材も?事が大きく伝わらないように、「予防線」を張ったようにしか思えないが・・・。
(管理人)この日の話し合いは、オフィシャルホームページ上で告知してくれる予定では無かったのですか? (三木常務)約束はしていない。 口頭で確実に約束している。全て書面に残さないといけないのか?
(管理人)あの日、何があったか。今日、何が行われるか知らなかったサポーターも多く居ます。企業の責任として「伝える努力」はしましたか? (三木常務)どうやって伝えたらいいか、考えが及ばなかった。
(女性スタッフ)今回は、10日残った人達への説明と言うことで告知しなかった。
・・・こちら側がHPと言う媒体を指定しているのに・・・。張り紙でも、ビラでも手段はいくらでもあるだろうに・・・。
(管理人)10日、私達がもし冷静に「話し合いの機会が欲しい」と言っていたなら、こうした場を設けてくれましたか?また、今回限りではありませんよね? (岡社長)拒むものではありません。今後、こうした話し合いの場を、シーズン前・シーズン後の2回くらい設けて行きたいと考えております。
今後はUNITED誌上などで告知して行きたいと思います。
これは、今後実行されるなら大きな前進と言えるでしょう。
祖母井GMは、何故今日は出席出来なかったのですか?この話し合いよりも、仕事のほうが大切でしたか? (岡社長)全国でスカウティング活動をしている最中。先日などは韓国に居た。今は微妙な時期。私の判断で、そちらを優先させた。 ・・・普通に考えて、確かに微妙な時期だな・・・。
これは社長の言う事も、もっともか?
小倉選手はJEFに必要な選手です。ファンにも愛されているのに、何故放出されねばならないのですか? (岡社長)名古屋が戦力外にするとは思わなかった。小倉選手と私で話し合い、小倉選手の意思を尊重することで合意した。
来季、3−4−2−1のシステムで戦う構想を持っており、その時にチェと彼はポジションが被る。彼自身はチェに勝つ自信があると言っている。
彼ならば、興味を持つ球団もあるだろう。
残る、残らない・・・どちらにでも取れる微妙な発言だ。
だが、この質問をはじめ、「人事権」「契約」に関する問題に触れられないのは、冷静に考えればもっともだ。

・・・しかし。選手に決定権があるのか?
それに、球団として彼を欲しているのか、いないのかは答えられたはず。
内田選手は、何故放出されたのですか?パラグアイに留学し、これからと言う時だったのに・・・。 (岡社長)パラグアイ留学は彼の強い意向。球団も一段高いレベルで揉まれて来る事を期待した。
だが、来季の構想を絞り込む際に彼の力では難しいと言う判断になった。
去年の武田選手や野々村選手のように、チームに必要とされる選手が何故こうも簡単に切られてしまうのですか? (岡社長)選手のプライバシーに踏み込む問題であり、理由を開示する事は出来ない。
JEFは監督が頻繁に変わり過ぎます。チームには一貫したビジョンが無いのですか? (岡社長)我々とて、監督には2年・3年と長くやってもらいたいと考えている。ただ、それが上手く行っていない。
(ビジョンについては、明確な回答なし)
ベルデニック監督は、就任以来1勝4敗と責任をとらされても仕方ない成績です。残留は監督の力によるものではなく、単なる「運」ではないのですか? (岡社長)ベルデニック監督に関しては、実は前々から我々の構想にあった。ただ、前のチームでの仕事があり招聘出来なかった経緯がある。
今回、ザムフィール監督が辞任した時に、我々が考えるのは彼しか居なかった。そう言う意味では、我々の期待がようやく叶った形である。十分に準備が出来なかった5試合だけでなく今後は彼の望むように構想を固めて行く。
JEF市原とヴァンフォーレ甲府は、他のチームでは例を見ないほど人材交流が盛んですが、何か協定でもあるのですか? (岡社長)特に「関係」はありません。J2とは言え、実戦経験を多く積む事で成長して帰ってきて欲しいと考えました。 これは、ごもっとも。
金クンが干されなければ、もっと良かったが・・・。(^-^;;;;;
「JEFを出て行きたい」と言う選手に対しては、どう言う対応をするつもりですか? (岡社長)基本的に選手の意思を尊重します。ですが、どうしてもその選手が欠かせない選手なら、引止めにかかります。 ・・・小倉は?
(管理人)効率的な宣伝広報活動を行う為に、マーケティング調査などを行い、データベースに蓄積して有効利用していますか? (岡社長)以前、野村総研に依頼して調査を行っている。 具体的な調査会社名が出るとは思わなかった。だが、そのデータが、どのように使われているかは不明。

 これ以外にも「臨海競技場の改修は?」「来季のホームゲームでは地方開催を少なくして欲しい」など、多くの質問・意見が出ましたが、要点はこのようなところです。
 特に10日の件や、戦力補強・人事面に関する質問に対しては、言葉巧みに(?)はぐらかされてしまった印象。ただ、球団に対して多分に失礼な表現が多かったとは言え、今まで腹を割って話せなかった事が、たとえ感情的であっても球団に伝えられた事は進歩だと思う。

 寒々とした月明りの中、討論会の終了は25時半。
 最後は、サポーターの代表が「来季、いきなり優勝してくださいとは言わない。せめて1stステージ“8位”と言う明確な目標を掲げ、それが達成出来ない時は責任を取るつもりで頑張って欲しい。」とチームに激励の言葉を送った。これに対して球団は、「責任問題は明言出来ないが、目標に向け努力する。」と最後まで歯切れの悪い答えに終始した。

 こうして、JEF市原史上初のサポーターとフロントの直接討論会は幕を下ろし、会の後にはスタッフと握手をするサポーターの姿も見られた。
 16時から、最後の最後まで討論に応じたフロント・スタッフには感謝と敬意を表したい。だが、果たしてこの日で全てを終わらす気は毛頭ない。
 ・・・討論会後、サポーター4人で冷え切った体を潮見通り沿いのラーメン屋で暖めながら、私は思った。「JEF市原を変える、その第一歩が今日なのだ」と。これから、チームは来季に向け動きを活発化させるだろう。その時、また同じ過ちが繰り返されないよう、我々はチームにより一層の関心を払わねばならない。そして、この一件を境にJEFを離れてしまった人が居たとしたなら、その人達とまた応援できるように我々自身が自分を見つめ直して努力せねばならない。

 一年後、いやこれから事ある度に、JEFを笑って見れる日がまた来たなら。「あの夜が始まりだった」と言えるように、私はJEF市原を応援し続けて行きたい。



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