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最近ジェフサポになった人にこそ読んで欲しい。6年と少し前のあの日、ジェフで何があったか。 当サイトが「SHADOW STRIKER!」と言う名前だった頃にレポートした、2000年12月10日の天皇杯・栃木SC戦後の「臨海立てこもり」、同じく12月14日に姉崎で行われた深夜まで及ぶフロントとサポーターの話し合い。今のサポコミのきっかけとなった出来事。 オシム監督が着任してから、急激に強くなったとマスコミに誤った見方をされるけれども、変革の種はずっとその前から始まっていた。2000年の冬、3年に及ぶ毎年の残留戦線の果てに、サポーターとクラブフロントが本気でぶつかってクラブの事を語り合った日があった。祖母井チーム統括部長が、「ウバ害」と呼ばれていたあの頃のこと、臨海に立てこもったあの日を、姉崎で深夜まで議論を交わしたあの夜を知っているだろうか? 選手の流出、降格の危機、さらにはチーム消滅の危機。 チームの危機に、皆が必死だった。 それからそれぞれが、それぞれの立場でこのクラブを良くしようと、必死に考えて今日まで戦ってきた。もう、あんな残留戦線の日々に戻りたいものか。これまで英々脈々と築き上げて来たものを、ここで崩してなるものか。当時の岡社長は、サポーターの猛烈な批判を、全て自分の言葉で受け止めてくれた。岡社長とて親会社からの出向ではあれども、後日「衝撃だった」と語り、変革へのターニングポイントになった。 当時の事を思い起こすと、苦々しく思うスタッフの方も居る。勝手な事を言いまくったかもしれない。 けれども、あの日あの時、本当にお互いが真剣にクラブの未来を話し合ったからこそ、ジェフは再生したのだと思う。 いままた、ジェフが危機を迎えつつある。 人と人の繋がりが軽んじられ、最も誇りにすべき「絆」がズタズタにされようとしている。 あの日のように、腹の中にあるものを全部ぶちまけて淀川社長と話したい。このクラブをどうしたいのか、選手に愛され、人に愛され、地域に愛され、誇りと文化となるにはどうしたら良いのか。大事なものをとことん話しつくしたい。 ここまで積み重ねるのに、どれだけかかったか。 それを知って頂くために、当時の青臭いレポートを再掲載します。 いま、どんな形でもいいから、クラブに、社長に意見し 、サポーター一人一人が動かなくては何も変わりません。 |
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「俺達の市原」であるために。
〜ドキュメント 2000年12月10日(日)〜 |
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事の始まりは、12月8日(金)だった。友人から携帯電話の一報を受けた自分は、信じがたい思いでその話を聴いた。 |
あの夜を始まりとして。 8年目のフロント⇔サポーター討論会 2000年12月14日(木) |
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これ以外にも「臨海競技場の改修は?」「来季のホームゲームでは地方開催を少なくして欲しい」など、多くの質問・意見が出ましたが、要点はこのようなところです。 |