通訳を介した言葉だと解っているけれど

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「彼らの頑張りは賞賛に値する。ただし最終メンバーについてのベースは頭にある。」
昨日の試合終了直後の、ジーコ監督の言葉だ。


これが、通訳を介した言葉で、ジーコ監督が本来話した意図を正確に汲んでいない可能性もある。それは解っている。それにしてもだ。監督として、人の上に立つのならば、指揮を執る選手たちの感情をもっと考慮しても良いのではないだろうか。


阿部や巻や寿人の気持ちは、怪我をした村井の気持ちは、どこに行けばいい?
悔しくて悔しくてならない。


元を返せば協会の問題だ。こう言う考え方正直な話し方をし、選考する監督を雇っているのは良く解っていたのだから。スポンサーとか、興行収入とか、そう言う話を抜きにして、このキリン杯をやらないという選択肢もあったのではないだろうか。予定に入っているから、仕方なくやってないか?この大会を?
もっと日程を決める時に、早い段階で代表を決定して、決まったメンバーでの強化試合に充てるか、休養にした方が、はるかに良かったんじゃないか?


代表選考に責任を持つのは、ジーコ監督だ。どんな選択をすれど、それはいい。その選考に対して責任を取る立場にある。
けれども、昨日の発言をジーコ監督にさせた責任は、日本サッカー協会にある。
この発言を、わざわざジーコにさせなくても済んだはずだ。