ありがとう、オシム監督

ありがとう、オシム監督

 ついに、この日が来てしまった。
 イビチャ・オシム元監督との別れの日。成田空港に駆けつけたのは、いつものように、黄色いジェフサポーターだった。

 一人、また一人と増えるサポーターは、11時過ぎには数百人にもなっていた。日本協会による、理不尽な代表への引き抜きから2年半。本当ならば、フクアリでもっと大勢のサポーターの中で貴方をお見送りしたかった。別れの機会すら与えられずに、分かたれなければ無かったジェフサポの想いは、ジェフサポにしか解るまい。今日、この日、ここに来なければと言う想いに駆られたサポは、静かに監督到着のその時を待つ。

090104_02オシム090104_04周り やがて、11時半過ぎに自動ドアのガラス越しに監督の大きな姿が見えて、歓声と拍手が起こる。
 久々に間近に見る姿に、思わず涙が出そうになる。やっぱり、姉崎で指揮を執っていたあの頃とは、比べるべくも無く痩せてしまっている。
 あの大きな病魔からの回復、どれほどのご苦労があった事だろうか。それでも今尚、サッカーへの情熱をさらに熱く滾らせ、日本サッカーに助言を行ってくれる事に深い敬意を覚えずにはいられない。やはり、自分の中では、肉親を除いてこの人ほど存在の大きな人は居ない。
 それだけに、あのタイミングで不用意に口にしたなら、誰もが悩み、苦しむ事を判っていながら、自らの保身の為だけにオシム監督を引き抜き、病魔に倒れるや、簡単に切り捨てた、川淵前会長をはじめとした日本協会の姿勢は本当に許し難い。悔しくてならない。


090104_05アシマ オシム監督は、アシマ夫人を伴い、サポーター一人一人の顔を見つめ、固く握手をし、ゆっくりと時間をかけてカウンターへと進んでいった。
 ゆっくりとした足取り。けれど、しっかりとした足取りに、よくここまで体調が戻ってくれたものだと思う。それだけは、本当に良かった。サポも、名残惜しい気持ちが有りながらも、監督の体調を気遣って、通り道を開け、周囲で見守っていた。

 空港には、井上さん、江尻さん、小倉さんや前田さんやジョゼさんをはじめ、湘南の反町監督や、坂本さん、阿部も来ていた。
 選手が意外に少なかったのは、浩平らの結婚式に日取りが重なってしまった事もあったらしい。さながら、オシム監督時代の同窓会のような空気。この日この時だけは、当時の事を思い出して懐かしい思いに浸った。

 写真は、「We are Osim Family」のゲーフラを作成してきた方と、写真に納まるアシマさん。彼女も、笑顔でサポーターを一人一人回っては、感謝の言葉を口にされていた。

 しばらく、立ちっ放しで取材を受けていた監督だったが、出発前になって貧血を起こしてしまって、大事を取って車椅子で出発ゲートへ。心配無いと言う様に、周囲をジョークで笑わせて、ゲートの奥へ消えていった。

 ガラス越しに、最後の最後まで姿を見送るサポーター。
 最後の一瞬まで、監督も手を振り、応えてくれる。
 その後ろで、坂本と阿部が遠まきにその姿を見やっていた。

090104_06ルフト090104_07ルフト2  サポーターは、そのまま展望ロビーへ。
 離陸する飛行機にタオルマフラーを振りながら、感謝の言葉を叫ぶ。遠ざかる飛行機を見つめながら、ジェフの一つの時代が本当に終わってしまったんだなあと言う想いが急に湧いてきて、力が抜けて、そして寂しくなった。

 けれど、オシム監督が残してくれたものの大きさが分かるからこそ、これからは自分達がそれを大きく育てて、監督に成長を見せなくてはならないのだとも思う。そして、同じサッカーの世界に身を置くのならば、いつかまた再会する時が来るかもしれない。その日を信じて、新しいジェフの歴史を紡がなくては。

 ありがとう、オシム監督。
 お身体に気をつけて。
 いつかまた、黄色いフクアリでお会いしましょう。