2008年を振り返る

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2008年。振り返ると、まるで何年か分をいっぺんに過ごしたような一年だった。
正直、もう同じ事は繰り返したくはない。身体の方がもたない(苦笑)

けれど、新しいシーズンの前に、もう一度考えてみたいと思う。何故、2008年は、これほどほどに危機的な年にならなければならなかったのか。何故、あそこまで追い詰められて生き残る事が出来たのか。そして、これからジェフはどう進むべきなのかを。

最終戦の大逆転勝利で、大団円を迎えた2008年。
けれど、そんなところで満足なんかしていて良い訳が無い。イビチャ・オシム監督の協会による引き抜きに端を発する、クラブの迷走。それが無かったのならば、世界と伍して戦っていたのは、ジェフであったのではないか。
世界を相手に躍動するガンバの蒼いユニフォームを見やりながらこみ上げる悔しさ。
もう二度と、こんな自滅を繰り返してはならない。


今季の低迷の原因は、前述した2006年のイビチャ・オシム監督引き抜きにまで遡る。
当時、協会が行った愚行はもちろんだが、クラブの代表たる淀川社長が、クラブを守るどころか、引き抜きに加担するような裏切り行動をとった事が、全ての歯車を狂わせてしまった。

その重たい陰を引き摺り、新しい年を迎えても監督すら決められない中、主力の大量離脱を招き、連敗を重ねた前半戦。
クラブを迷走に陥れた淀川社長が退任し、押し込められていたクラブの力が三木新社長、ミラー監督の下で解放された後半戦。
2008シーズンの前半と後半は、鮮やかなまでの陰陽のコントラストを描いている。

教訓を一つ挙げるのならば、いかに揺ぎ無いクラブの「指針」を持つ事が大切であるか、そして、その「指針」に対して適切で大胆な判断をし、責任を持つトップの存在が重要であるか、つまり「クラブの軸」がしっかりしているかどうか、と言うことに尽きる。


その「軸」を取り戻したからこそ、ジェフは蘇る事が出来た。
「人材」「信頼」「考えて走るサッカーのアイデンティティ」・・・望まないスクラップアンドビルドの過程で、失ったものはあまりにも大きかったが、三木社長就任後、ようやく時計の針は正しく回り始めた。

その軌跡を辿れば、ジェフの進むべき道は見えて来る。



・・・社長の交代があった頃、チームは不振を極めていた。

難しい状況でチームを引き受けたクゼ監督ばかりを非難する事も出来ないが、当時は全くやりたいサッカーの形が見えずに、希望の見えない惨敗の繰り返しだった。
問題は、オシム親子の時代と比較して、圧倒的に少ない練習量にあったと思う。ゼロからチームを作り直さなくてはならない中、新しいシステム、少ない練習、猫の目のように変わるスターティングメンバー・・・始動から4ヶ月を経過しても状況は悪化するばかりだった。
そして、埼スタで見せ付けられた、無様な“鳥かご”。
直後、同監督は任を解かれた。

クラブが下した、再生への決断だった。


代わりにチームを率いたのが、現監督アレックス・ミラー。
今考えてみても、どうしてリバプールから彼がやって来たのか理解できない、それこそ奇跡的な人事だ。
けれども、彼は2分9敗という絶望的な状況にチームがある事を知りながら、あえて極東の小さなクラブを選んでくれた。

ここでもキーワードは、「指針」。
何の方向性も無かったチームに、ミラー監督は分かり易い道筋を示し、そのことによってチームの状況は劇的に変化した。

J1に残留する為の、徹底的な規律。
「4-5-1もしくは、4-4-2のカウンターサッカー」「ホームとアウェイの戦い分け方」「ターンオーバー」「非公開練習」・・・目標をはっきりさせた、極めて現実的な戦い方。それを愚直に実行する事で、チームは徐々に結果を残し、失われた自信を少しずつ取り戻していった。

フロントも動いた。
監督の要望に応えた、迅速な補強。
戸田、根本、ミシェウ、深井、早川。
反撃へのピースは、整いつつあった。

しかし、それでも前半戦の負債はあまりに大きく。9月を迎えても順位は変わらず17位。
いよいよ、状況は厳しさを増していた。



一方、サポーターは今季に入る前から、シーズンが厳しくなる事を覚悟していた。
今季はよく、「ジェフサポーターはブーイングをしない」と言われたが、そんな事は無い。この状況を引き起こした元凶には、ファン感で散々ブーイングを食らわせている。

ボロボロになったジェフ。
サポーターも、ボロボロの心境だった。けれど、フクアリは臨海にはならなかった。
どんなにボロボロでも、クラブを見捨てない覚悟を持ったサポーターが育っていた。

ここで戦う事を選んだ選手が居る。戦う覚悟を決めた選手達が居る。
ならば、精一杯それを後押しするのがサポーターのあるべき姿じゃないのか。
ジェフで戦う事への誇り。今季の応援の原点は、そこにあった。

ただ、それを続ける事は簡単では無かった。
負けに負け続けた前半戦。残留を争う、東京V・札幌に共に0-3で敗れた7月。
罵声の飛び交うスタンドになっていたとしても不思議ではなかった。
その度に、「ここブーイングをする事が果たして選手の力になるのか?」その疑問が、頭をもたげては、ブーイングを思い止まらせていた。

そして、今季ほど、「どうすれば選手の力になるのか」をサポーター皆が考えていた年も無かったと思う。選手バスの出迎え、応援練習のアッコちゃん、試合前挨拶時の応援、ビッグフラッグすらも悪い流れを変える為にと使用を一旦止めもした。

全員の賛同が得られる応援がある訳では無いが、「どうすれば」を考え抜いた結果を、必死に形にしようとし、「選手の力に」を常に考えていた。



そして、ターニングポイントとなった9月の東京V戦を迎えた。
既にこの時、崖っぷち。全試合が決勝戦の如く戦わねばならなくなっていた。

ここで、クラブは二つ目の大きなアクション、「今こそ! WIN BY ALL!」キャンペーンをスタートする。これまで、頑なにサポーターとの間に一線を引いていたクラブが、突如、リアルでも、Webでも、サポーターにも協力を求める、ジェフ史上前代未聞のキャンペーンだった。

一方、サポーター側も、この試合に向けて「これまでとは違う応援を」と方法を模索していた。「残留」の横断幕に、応援の流れの変更。ただ、直前までインパクトある決め手には欠けていた。

「何かをやらなくちゃいけない」
「何かを変えなくちゃいけない」

追い込まれた逆境の中、生まれたのが「WIN BY ALL!」コールだった。


不思議な光景だった。
初めてやるコールだと言うのに、もう何年もやり続けたコールであるかのように、「WIN BY ALL!」のコールは、フクアリの空気を一つにし、緊張感あるものに変えていった。

空気は、確かに変わった。

クラブの危機感、サポーターの危機感、それが一つになって、真のホームを作り出しつつあった。東京V戦から始まる成功体験が、「応援すること」の意味を再認識させてくれた。はっきりと応援の「指針」が出来た瞬間だった。



フロント、現場、サポーター、それぞれの「指針」がはっきりとした事で、それまで眠っていたクラブの潜在力が一気に噴出していった。

東京V戦から始まる5連勝。
日替わりのヒーロー。
加速度的にホームの熱さを増すフクアリ。

J1残留を決して諦めない、逃げ場の無い覚悟。
毎試合が、勝たなくてはその先が開かれないトーナメント戦の如き戦い。

胃袋が締め付けられるような戦い
の果てに、これまでには無い一体感が生まれつつあった。
アウェイの大宮戦、清水戦、そして最終節。
リーグの最終盤は、試合を重ねる毎に、追い込まれるほどに、クラブの底力が絞り出されて行くかのようだった。



だから、追い込まれた最終節にも過度の悲壮感は無かった。
あったのは、吹っ切れた気持ち。余計な事は考えずに、応援に集中し、やれる事をやる。
2失点を喫した時も、諦めはしなかった。
もう、何度死んだ身か分からない。それでも、まだ今、ジェフは戦っている。ならば、可能性ある限りに戦い続けるのみだと言い聞かせた。

後半29分からの大逆転劇。
あれを、世間は「奇跡」と呼ぶのかも知れない。

だが果たして、そんな言葉で片付けていいのだろうか。
あれは、今季のジェフの集大成。「J1に生き残るためには」を突き詰めに突き詰めた努力や施策や色々なものが、あの15分間に集約されて現れたもの。何か一つが欠けても、あの結果にはならなかっただろうし、各々がやるべき事をやりきったからこそ、導き出せた結果だった。



簡単だけど、難しいこと。
クラブに関わる皆が、一つの方向を向くこと。
それが出来れば、どんな逆境も跳ね返せる大きな力が生まれる。その事を、皆が身体で、心で感じた事こそが、今季の最大の財産では無かっただろうか。

苦しい一年だった。
こんな一年を過ごす必要なんか無かったとも思う。

けれど、この逆境からの生還は、クラブのかけがえの無い財産になった。
逆境を跳ね返し、ジェフは、ようやく「UNITED」を掲げられるクラブになった。

そして、ここからが、本当の勝負だ。
残留に満足するのではなく、失われた時間を取り戻して、もう一度頂点を目指さなくては。

ただ願うだけじゃ、人に任せるのでは、何も生まれない。
残留を勝ち取った、クラブの底力を、今度は頂点へ向かう力に変えて。
今のジェフならば、それが出来るはずだ。