追悼 イビツァ・オシム監督

追悼 イビツァ・オシム監督

「オシム監督が亡くなられた。」

5/1の夜、帰宅した家族の一言に、いっぺんに目が覚めた。
最近のNumberのインタビューでも、体調があまり良くない事は目にしていた。けれど、こうなることはもっとずっと先の事なんだと、勝手にそう思っていた。いつか来る事と覚悟はしていたはずだったのに、唐突にその報せはやってきた。どうか嘘であって欲しい。

しかし、シュトルム・グラーツをはじめ、オーストリア、ボスニアから次々にタイムラインに流れる投稿。ハースが、教え子たち、サポ仲間の悲嘆の声が、それが悲しい事実なのだと告げていた。

あまりにも大きな存在だった。

2003年、キャンプが始まっても決まらなかった監督が、オシムさんに決まったと知った。当時の自分は、オシムさんの事を全く知らなかった。
東欧路線で監督を招聘していた祖母井GMをして、彼は本家本元の別格だという。
断片的に伝わってくる、選手たちが戸惑うほどの猛練習。
そして、心を揺さぶる言葉の数々。

とりわけ自分の心に突き刺さったのは、開幕直前のサッカーダイジェストのインタビューだった。

総武線の電車の中だったろうか。
これを読んで思わず泣いてしまったものだった。

当時のジェフは、苦しい状況だった。
観客動員は最下位、財政的にも厳しく、せっかく育てた若手ホープも次々にチームを去っていく。親会社撤退、チーム解散、ホームタウン移転も問いただされる有様だった。
成績も、2001年のベルデニック監督、2002年のベングロシュ監督の指導で成績は上向いたものの、それまでは辛うじてJ1残留が続いていた。

「なぜこのクラブを、応援しているのだろう?」

そんな想いを、心のどこかでずっと抱えていた。
その中で読んだ、オシム新監督のインタビューだった。

『サポーターのためのチーム』
『胸を張ってスタジアムヘ』
『市原は市原のサッカーをやる』

言葉の一句一句が心を打った。
このクラブを応援しているのは間違いではないんだと、誇りを持って良いんだと、信じることが出来た。

あれから19年。
今も自分がジェフサポを続けているのは、この言葉のおかげに他ならない。
多くの仲間に恵まれ、歓喜の瞬間も、力及ばず敗れた時も、サッカーを離れた日常の中でも。常に脳裏にはオシムさんの言葉があった。

オシムさんが話していた通り、ジェフを応援するのは楽じゃない。
歓喜よりも、苦しい事の方がずっと多かったけれど。
今もスタジアムに通っている。

聴きたかった。ジェフがJ1に戻り、タイトルを獲得した時、どんな言葉をかけてくれたのか。それが永遠に聴けなくなってしまった事が残念でならない。
そんな事を言うと、いつまでも頼るんじゃないとたしなめられてしまうだろうか。

オシムさんが蒔いた種は、一人一人の心の中で芽吹いている。
自分自身が、より良い未来に向けて、昨日より今日、今日より明日へと前を向けているか。心の中に宿ったオシムさんの問いかけに、一生向き合ってゆくのだろう。

見守って居てください。
まだ時間はかかるかも知れないけど、ジェフは貴方が指揮した頃よりも、いつかきっと強くなります。私たちも誇りを持って応援を続けてゆきます。

本当に、本当にありがとうございました。
オシム監督。